おがわや すしきん新連載

むかしこんなことしてました。
おがわや すしきんの店主、大垣 文護(おおがき ぶんご)は,
前頁で述べましたようにかれこれ14年前、大使公邸料理人という肩書きで、
西アフリカのガーナ共和国という国に滞在していました。
今からそのときのお話を少しづつですが、このページでさせていただこうと思います。
第2話
ガーナへ出発
日本出国編
さて、赴任のための準備期間はあっという間に過ぎ、やることもやって(?!)、平成2年12月12日に自宅を出発しました。
当時は関西空港ものなんて建設中でしたから、とりあえず、欧州便の多い成田(Tokyo
Narita・TYO NRT)に向かいました。
アフリカのガーナという国には日本からの直行便はなく、首都アクラ(Accra・ACC)までは、時間的にはヨーロッパ経由が最短で(飛行機20時間)、今回の赴任するためのルートは荷物が多いということで、エクセス・チャージ(超過手荷物)免除をたくさんくれたスイス航空(SR)によるのスイス・チューリッヒ(Zurich・ZRH)経由となりました。
当時、シベリア領空通過料の影響でしょうか、搭乗するスイス航空167便(SR167)ZRH行きは、ソ連(現ロシア)のモスクワ(Mosccow・MOS)経由でございました。
そんなことより、当時の私は飛行機&海外旅行すべてが初めてで、おまけに一人旅。ガーナまでの2日間の話相手は当然ナシ。ガイドブックとサービス協会がくれた旅慣れた人用の冊子と案内文のみ。トランジット(Transit・経由宿泊地)のZurichではいったん空港を出て、ホテルへ一人でチェックインをしなければならない。

もう東京までの移動、新大阪ホームでの皆様の涙(?!)の見送りなんて、もう私にとって過去のお話。富士山を眺め新幹線の中から、今からの行動に興奮と緊張をしていたのを憶えています。
ガーナに到着して、すぐ仕事に取り掛かれるようにと、色々な料理の虎の巻、道具、その他、思い出(?!)いろいろ詰め込んだオーバー30kgのスーツケース2個(これは空港宅配しました。)に、3日分の衣料やおみやげが入った大きなボストンバックを抱えてのマジ、おのぼりさんの移動でございました。
日本最後の日(?!)はホテル日航成田で宿を取り、ホテルの一室で、そんな自分にナルになったのでしょうか(?!)、何故か、自分の写真を撮りまくっていました(??)。
翌日、ホテルから空港までバスで移動ですが、当時の成田は過激派対策で、空港敷地に入る前にバスの中へ係官が入ってきて、手荷物すべてをチェックされ、厳重なもボディチェックを受けました。平和な田舎暮らしをしていたひとりの若者にとって、すごい驚きでもあり、『エライとこに行くんだなぁ・・・。』と今更ながら感心したのでした(遅)。
空港内ではその大きな手荷物を抱えて右往左往、片手にガイドブックを持ち、スーツ姿の変な若い衆でした。初めての海外旅行でもあり、見学ついでにと11:00AMのフライトなのに、朝早くから(7:30には)空港にいた、嬉しがりの私でもありました(笑)。
余談ですが、当時、目的地までの搭乗券の支給はビジネスクラスで、飲み物や軽食がフリーのラウンジの利用が、これまた飛行機&海外Debutの私にとって新鮮でSURPRISEでした。

中森明菜の北ウイングでなく(?!)、南ウイングでチェックインを済ませて、当時テレビドラマで見た、ボーディングまでのあの下りのエスカレーター・・・。あのムービングウォーク・・・。それらを歩いて搭乗口へと向かう自分・・・。
見えてきました。DC-10の赤い尾翼に白抜き十字・・・。スイス航空167便
モスクワ経由チューリッヒ行き、そしてアフリカガーナへ・・・。いよいよ大垣文護、日本出国となりました。
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